スリランカと日本の歴史
日本との講和条約
当時セイロン(現スリランカ)政府の大蔵大臣であったJ.R.Jayewardene氏が
1951年9月サンフランシスコに於ける日本との平和条約締結調印会議で日本を擁護するスピーチにより、敗戦国である日本を4か国に分割して統治することを検討していた連合国より救ったとされています。
そのスピーチの一部をご紹介します。
「・・・わがセイロンの人々は幸運にも直接に侵略されなかったが、空襲や東南アジア軍団の大量の数の軍隊の駐留による被害とか、また連合軍に対する唯一の生ゴム生産者であり、わが国の重要産業品である生ゴムの大量摂取による損害は当然賠償されるべきである。
しかし、われわれはその権利を行使するつもりはない、なぜならアジアで何百万人もの人たちの命を価値あるものにさせた大教導師の「憎しみは憎しむことによって消えず愛することによってなくなる」との言葉を信じるからである。
この言葉はブッダ、大教導師、仏教の創設者の言葉で人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジヤ、タイ国、インドネシヤ及びセイロンに拡げまた同時に北方へ、ヒマラヤを越えてチベットから支那を経て最後に日本に及んだのである。その波は我々を何百年もの間に渡って共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのである。
この共通の教養は現在も脈々として存在していることを私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄ったときに見出したのである。
日本の知事や指導者やその他一般の人たちからまた、寺院の僧侶から、日本の大衆は現在も大教導師の平和の教に影響されておりその教えに従いたいとの希望に満ちているとの印象を感じたのである。
われわれはその機会を日本に与えねばならない。・・・」
引用:J.R.Jayewardene Center資料より抜粋
幸いにも日本が分断され植民地化されずに済んだ様々な要因がある中、J.R,Jayewardene氏のスピーチによっても我が国日本は、連合軍の植民地化計画から救われ、今現在の日本があるということを決して忘れてはならないと思います。
J.R.Jayewardene Centerにて
職員の方(向かって右)と撮影
【J.R.Jayewardene】について
1977年から1989年まで内閣総理大臣として 1977年から1978年から1978年まで、1978年からスリランカの第2 大統領として、独立後の数十年に亘って様々な内閣府の職に就いたセイロン(現スリランカ)の民族主義運動のリーダーであった。ユナイテッド・ナショナル・パーティーの長年のメンバー彼はそれを1977年に圧倒的な勝利に導き、改正憲法の下で国家初の執行大統領になる前に半年にわたって首相を務めた。引用:ウィキペディア